今回は、私自身の自戒の歌を二つ…。

   恥を捨て ひとにもの問い 習うべし
     これぞ上手の もといなるべし


 本当の話かどうかわからないが、ある時、太閤秀吉が、
千利休に対して、
「茶道上達の極意は何か?」と尋ねたところ、
利休がこう返答したそうである。


 幼い時に父を亡くし、生活に追われる母親に相談した
り、尋ねたりするのもはばかられて、何でも自分で判断
し、我流でするクセがついてしまった。
前にも、ちょっと書いたけれど、勝手に判断して、自己
流でして、失敗したり、中途半端に終わったという経験
は数知れない。


 たとえば仕事…。先輩や前任者に、素直に、わから
ない事や留意点など教えを乞うていたら、無駄な苦労
をしなくてもよいのに、我を通して失敗をする。
人は頼られると嬉しいもので、喜んで教えてくれるのに
若いときは中々素直に頭を下げる気になれない…。

 ちょっと高価な買い物をする時もそう。
たとえば三脚や雲台。カタログを見て、良さそうと思って
買っても、実際には使い勝手が悪かったりして、殆どが
お蔵入り…。
カメラやパソコンの周辺機器でも、買ったものの使う
ことなく、箱の中で時代遅れ、陳腐化したものも多い。
最近は、経済的に余裕が無くなったせいもあるが、
いろんな人の使用感など意見を聞いたり調べたりして、
実物にも触れて確かめたり、用心深くなってきた。


 パソコンの操作も然り。初めのうちは、エラーメッセー
ジを誤解して、配線が誤っていないか
抜いたり差したり繰り返し、あげくの果ては工場出荷状態に戻して、元に戻すのに四苦八苦した。結局は、サポートセンターのお世話になって解決という経験も多かった。


 自分で試行錯誤して覚えていくのも悪くはないが、
「恥を捨て人にもの問い習う」のも大いに必要と思う
今日この頃である。
   明日あると 思う心の 仇桜(あだざくら)
     夜半(よわ)に 嵐の吹かぬものかは

 ネコの額ほどの小さな畑で野菜を作っている。
サツマイモやジャガイモ、ダイコン、タマネギなど、出来る
だけ手間のかからないのと、虫のつきにくいエンドウや
サニーレタスなどが中心の、いい加減な百姓である。
せっかくきれいにしても、すぐ雑草が生えてくるし、残って
いる作物を片づけて、畝を作り肥やしを入れ、次の作物
を植える作業は面倒で、根気が要る。
今日は気が進まないから明日しよう、と思っていたら、
雨が降り続いたり、予期せぬ用事が出来たりして、
ずるずると作業が延びてしまう。
そのうち、適期を逃してしまって、満足なのが収穫でき
ないということがよくある。

 また、最近はメールのやりとりに慣れてしまって、ペン
で便箋に手紙を書くというのが億劫になってきた。
しかし、あらたまった用件や
相手によっては、ワープロで
打って印字というわけにはいかない。
生来が筆無精な上、気の張る相手とあっては、ついその内に、明日こそと思っている間に、時期を失して義理を欠くということになりやすい。

 だいたいが、好きなこと、楽なことは先にして、面倒な
こと、気が進まないことは後回しにすることが多かった。
そのために、後悔することも多かった。
年のせいか、時間が自由になった為か、最近は、どっち
みちしないといけないのなら先に済ましてしまおうと考え
るようになってきた。
気掛かりなのを、いつまでも抱えているより、先に済ませて
おいたら、後は気が楽だと自分に言いきかせている。

 バリエーションというか、この考え方にオマケがついて
きた。
若い時から、天ぷらやタケノコ、こりこりと歯ごたえのある物
が好きで、生臭い物、骨の多い魚など面倒な物、カキや
ナマコなどグニャグニャした物は嫌いだった。
いつの頃からか、幕の内などで、どっちみち食べないと
いけないのなら、苦手なものは先に食べて、好物は後
から食べるというパターンが定着してきた…。
 これって、「夜半に嵐が…」と関係がありませんよね? 
 


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