昔から、「一年の計は元旦にあり」と言う。
 私も、毎年のように、「今年はこれを目標にしよう。このことに取り組んでみよう。」などと考えたけれど、気が変わりやすいのか、意志薄弱なのか、あるいは忘れっぽいのか、ことごとく計画倒れに終わった…。


 唯一の例外は、毎朝のラジオ体操。もう5年ほど続いている。
手軽であるし、気が乗らないときは、「今日はハーフにしよう」と決めて「ニ、ニ、サン、シ」は省略すると云ういい加減さ…。それでも、体も気持ちも目覚めるのか、それまで、よく自転車でぶっつかったり転んだりしたのが無くなったし、大きな病気もしていない。
些細な事でも、目標を決め、一念発起して継続すれば、それなりの成果があるのだろう。

 日産を再建したカルロス・ゴーンさんが、何かのインタビューで、「明確な目標を示し、それをめざして、一致結束して取り組んでいくことが大切」と話していたことを思い出す。

 話が飛躍するけれど、私が中、高校生だった昭和30年前後、「平和で民主的な文化国家の建設」「資源の無い日本がめざすのは科学技術立国」という考えが共通認識だった。いわば日本が進むべき方向、目標として誰れもが思っていた。今のように生活は豊かではなかったけれど、若者は将来への夢と希望を持ち、「青い山脈」の歌のように健康的で明るい雰囲気が社会を包み、活気があった。
   
 今はどうだろう?
若者は、将来への夢や希望を持てず、どんよりと重苦しい、よどんだ空気が社会をおおっているように感じられる。
 今年あたり、「一年の計」ではなく、「50年の計」「100年の計」ともいえる、目指すべき明確な日本の将来像を提示して、若者に夢と希望を与え、国民を奮い立たせてくれるような傑出した政治家や思想家が現れないだろうか…。

 平和であること。水も空気も野も山もクリーンであること。生まれてきてよかったと誰もが思える社会であること。自分を大切にすることが同時に人を大切にすることになる社会…。
説得力あることばや理念で、人々に夢と希望を与え、世界中から尊敬されるような日本の国造りをリードする政治家や思想家は現れないだろうか…。


 私には、日本が目指すべき姿は、世界に範たる日本国憲法や教育基本法が示しているように思われてならない。
「時代に合わないから時代に合うように変える」のではなくて、日本国憲法や教育基本法に示されている理想に少しずつでも現実を近づけていく努力をするのが正道のように思うのだけれど…。
凡人の浅はかな考えなのだろうか…。


 またまた、ローカルなホームページのグローバルな話題になってしまったけれど、正月だからまあよろしいか…。 


1024×768ピクセルでご覧になって、文字が小さい時は、「表示」「文字のサイズ」「大」にしてください。 左上の戻るボタンをご利用ください