テレビで、「おばあちゃんは小学生〜小さな島の友情日記〜」というドキュメンタリーを見た。
 瀬戸内海に浮かぶ小さな島、広島県倉橋町の河野行江さん(87歳)の話である。
 75年前、地元の宇和木小学校を卒業した河野さんは、「女の子は裁縫とご飯焚きができたらよい」という父親の一言で上の学校に進めなかった。島で産婆さん(助産士)になり、1万人以上の子どもをとりあげたという。しかし、長男と次女は小さいときの熱病で知的障害を患い小学校に通学できなかった。
「二人の子どもを病気にしたのは忙しさにかまけたあんたのせいや」という声がずっと頭から離れなかった。
「子どもたちが出来なかった勉強を!」というつぐないの気持ち、そして何より小さいころ好きだった算数の勉強をもう一度したいという気持ちがつのって、河野さんは、宇和木小学校(全校児童47名)の校長に頼み込み、5年生に入れてもらって、算数の授業を受ける。
 75歳差の同級生9人と机を並べた河野さんは生き生きとしている。
朝食後の1時間の予習は毎日欠かさないし、テストを返してもらったら周りの子の点数を聞いて、「おばあちゃん、負けたのう。残念じゃのう。」とくやしがる。

 6年生になって文章題で難渋するけれど、「問題が解けたら嬉しい」と挫けるそぶりもない。
卒業式で修了証書をもらった河野さんは、「2年間楽しかったです。」と言いながら、ちょっぴり寂しそうだった。そして、中学校に進学する「同級生」に、「一生懸命勉強してくださいよ。死ぬまで勉強なんよ。」と励ます。
その後、河野さんは新しく通信教育で仏教の勉強を始めたという。
87歳とは思えない向学心、チャレンジ精神、そして思ったことを実行に移す行動力に心から敬服する。


 「人が生きるうえで『つらい』と感じるものが四つある、という。病気、貧乏、寂しさ、それに自分の存在が『無用』とされたとき−。
            (03.5.21毎日朝刊17面)
 河野さんは、その何れにも縁がない。たまたま縁がないのではなくて、気持ちの持ちようがそうさせているのだと思う。

 20年余り経って河野さんの年齢になったときも、好奇心とチャレンジ精神が旺盛、若々しい気持ちで毎日を過ごせたら、どんなにか素晴らしいだろうと思う。
河野さんにあやかりたいものである。
 


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