家の近くに、「ボルボ」という名の理容店があった。
 ご主人は、すこぶる話し好きで、クシやハサミを手際よく動かしながら、
「わしら、そう思いまっせ。ちゃいまっか…」と政治家の不正、芸能人のゴシップ、スポーツ選手の八百長疑惑…話題は幅広く、快刀乱麻、縦横無尽、バッサバッサと切り捨てる。「まあ、そこまで言わなくても…。」と思う時もあるが、正論だけに歯に衣を着せない話しっぷりは痛快だった。

 ある時、めずらしく息子さんのことをぼやいた。
「うちの坊主、勉強が嫌いでんねん。出来んのですわ。勉強が出来んのを、出来るようにするのが学校の先生の仕事とちゃいまっか?」
こちらが学校の教師と知って、真正面から切り込んできた。
「まあ、そう言われても、丼鉢みたいに大きいのや杯みたいにちっちゃいのや、入れ物の大きい小さいのがあるよってになあ…。」
と返しながらタジタジとなった。
 確かに、歯が痛くなったら歯医者の先生が直してくれる。頭痛や腹痛はお医者さんの先生が直してくれる。勉強が出来ないのを直すのは、当然、学校の先生の仕事やおまへんか?という論法だ。
ウーン、そらまあ、そやけど、簡単には…ねぇ。
 
 同じように「先生」と呼ばれながら、誠に面目ない。なにか名案はないものかと考えさせられた。
 出来ない子に、「わかりやすく丁寧に」教えたら、みんな出来るようになるかというと、そうでもないから厄介である。
「子供自身に興味や関心がないことは、どんなにわかりやすく説明しても駄目だった。」とベテランの先生が述懐しておられるように、人間、好きな事は、「やめろ」と言われても夢中で取り組むけれど、嫌なこと不得手な事は後回しにして、お茶を濁してしまうことが多い。「好きこそ、ものの上手」とはよく言ったものである。
 そしたら、「勉強が好き」になるようにし向けたら…と言うのは簡単だけれど、実際は至難の業。タバコ好きにタバコをやめさせるよりも難しい。
 何か名案、妙薬はないものか、つらつら思案している間に月日が経ってしまった。

 勉強の好き嫌いは別にして、誰でも何か一つ取り柄があるものだ。歌が上手い、スポーツ万能、手先が器用、人をまとめるのが上手…周囲に一目置かれる、その人なりの取り柄を自覚している人は、それが自信となって、堂々と生きている。その方が大事なような気がしている。

 その後、ボルボの理容店の息子さんは学校を卒業して警察官になり元気に勤務しておられる。
ご主人の方は、還暦を過ぎて、望郷の念おさえがたく、理容店を閉じて、生まれ故郷の近江の田舎に帰ってしまった。ときどき実家の散髪屋を手伝いながら、弁舌ますます冴えわたって、周囲を煙にまいておられるのではあるまいか…。


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