チャーリーの新聞記事

柴 犬 チ ャ − リ −


 ウサギ、ニワトリ、ヤギ、熱帯魚、セキセイインコ…。農家なのでスペースがあり、もともと好きであったのか、我が家では、いつも何か生き物を飼っていました。もちろん、犬・ネコは欠かしたことがありませんでした。
 けれども、柴犬チャーリーの心痛む出来事を最後に、ぴったり生き物を飼うことをやめました…。

 チャーリーは、娘が高校生だった時、お友達の家から生後1ヶ月足らずでもらってきました。雑種犬ばかりの我が家には珍しく、ぬいぐるみのように可愛い、純血種の柴犬でした。
居間に小さなダンボール箱を置いて、犬なのにネコかわいがりに可愛がって飼っていました。追いかけっこして家中走り回ったので、ソファの皮も、フローリングの床板もチャーリーの爪の跡だらけになりました。
 3ヶ月ほどして庭で飼うようにしたけれど、雷が鳴った、雨が激しいと言っては大急ぎで土間に入れてやる過保護ぶりでした。
チャーリーの大好きな遊びは敷物の取り合いっこでした。犬小屋の敷物をくわえて持ってきて、目の前にポトンと落とし、どちらが早く取るか、最後に勝つのはどっちか勝負しようというように、上目づかいに誘うので、よく相手をしました。可愛いので、いつもチャーリーに勝たせてやっていたし、散歩に行っても常に前を歩き、好きなだけ遊ばせて甘やかせていました。後で気がついたのですが、そういう行為の中で、誰が一番強いのか犬特有の群れの序列を確かめていたのでしょう。
 たいへんな甘えん坊で、1歳になっても2歳になっても、散歩の途中、他の犬が抱っこされているのを見ると、自分から胸に飛びついてきて抱っこをせがみ、いつまでも肩にしがみついているような犬でした。
 また、本当に賢い犬でした。
「チャーリー、2たす3は?」と言うと、「ワン、ワン…。」と5回ほえるし、
「チャーリー、2かける4は?」と言うと、じっと顔を見たまま、正確に8回ほえました。
チャーリーは、簡単な加減乗除なら間違えることなく出来ました。
 
我が家の自慢の犬で、家内が毎日新聞の「我が家のペット」のコラムに投稿し、掲載されたこともありました。

 4年目の6月のことでした。
私の母が入院し、家内が昼も夜も付ききりで看病し、娘は学校、私は仕事で、チャーリーにかまってやれなくなりました。
 放っておかれる寂しさ、発情期の欲求不満のイライラ、大嫌いな雷がすぐ近くに落ちた恐怖心…、いろいろ重なって、チャーリーの気持ちがすっかり荒んでいるのに気がつきませんでした。
餌をやろうとした家内が、いきなり左足のふくらはぎを咬まれ、14針縫うケガをしました。
一週間もしないうちに、今度は私が、パンを投げ与え、とどかなかったので、近づいたところ、右の脹らはぎを咬まれ16針縫うケガをし、傷口が腐敗し3ヶ月通院しました。
すっかり凶暴な表情になって、誰一人近づけなくなり、いつ、娘も近所の人も咬まれるか分からない状態で、手の打ちようがなくなり、途方にくれ、仕方なく保健所(動物愛護センター)に引き取ってくれるよう依頼しました。
 その日、異常に気づいたチャーリーが牙をむいて飛びかかろうとしました。係の人は前後から同時に首と足に針金の輪をひっかけてひっばり、抵抗できなくして、連れて行きましたが、その姿を見ながら、チャーリーが哀れで涙があふれて止まりませんでした。
 その後、テレビで犬の飼い方の番組を見る機会が何度かありました。可愛い可愛いと甘やかすばかりでなく、子犬の時から他の犬たちになじませ、成長段階に応じて、きちんとしつけておいたら、わずか4歳の若さで可哀相な最期を迎えさせずにすんだのにと、心から悔やみました。
 「犬一匹しっかりとしつけられないのに、子ども達の教育をしているのはおこがましいですわ。」と、誰れかれなしに自嘲気味に話したのはその頃です。
 動物と人間を同列に論ずるのは軽率のそしりを免れないとは思うものの、愛情を注ぎ、一生懸命になって育てた子どもが、家庭内暴力や非行などで手に負えなくなったという記事を目にする度に、両親の心情を思い、胸がキリキリと痛みました…。
 

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